Bible Essay

このエッセイは「すがお教会だより」の巻頭言として執筆してきたものです。

「静まる」

聖書学

気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはなりません。あなたは、これら二つの木切れの煙る燃えさし、レツィンすなわちアラムとレマルヤの子との燃える怒りに、心を弱らせてはなりません。

イザヤ書 7章4節

 私たちは、何か困ったことがおこったとき、神さまへの信頼を保ち続けることができるでしょうか。もちろん、試練の中でも信仰に堅く立つことが理想です。しかし、それが簡単ではないことを神さまはご存知です。私たちは、信仰を持っていても、すぐに心を騒がせ、あわただしく手足や口を使ってことを解決しようとしがちです。 
 だから、聖書は「気をつけて、静かにしていなさい」と言うのです。 
 イザヤの時代、ユダ王国は敵対する隣国の勢力におびえていました。しかし神さまは敵対勢力を「二つの木切れの煙る燃えさし」と呼び、神さまを信頼しておりさえすれば、心を弱らせるようなことはないと言われたのです。 
 心が騒いで、心配や焦り、いらだちや腹立ちで満ちてくると、信仰は色あせ、弱くなってしまいます。そんなときは、気をつけて心を静め、神さまの御声に耳を傾けましょう。 

「みことば、交わり、賛美」

キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

コロサイ人への手紙 3章16節

 

 私たちの内側には、いったい何が宿っているでしょう。聖書は私たちに、キリストのことばを住まわせなさい、と勧めます。キリストのことばを、ただ読むとか、聞くとか、知っていると言うだけでなく、「あなたがたのうちに豊かに住まわせ」るようにと言うのです。それは、みことばを、私たちの信仰と生活の基盤として位置づけることであり、みことばが私たちのいのちになっていくことです。 
 ここには、まず、みことばを理解するという知的な面、次に、信仰と生活の基盤となるという実際的な面、そして、いのちになるという霊的な面があります。 
 この三つのどれが欠けても、信仰は偏ってしまいます。そのような偏りを防ぎ、矯正するのは主にある交わりです。「互いに教え、互いに戒め」という勧めは、交わりの中で生きたものとなるのです。そして、みことばを中心とした信仰の交わりの中から、真実な賛美があふれ出るのです。

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神の前の謙遜

若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。

ペテロの手紙 第一 5章5節

 

 どんな人にもいろいろ誇りたいことがあるものです。自分の才能、経験、生まれ、家族、国籍、持ち物、学歴、等々。 
 しかし、神さまはそのようなものをもって人を測ることをなさいません。神さまは言われます。 
「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。・・・人はうわべを見るが、主は心を見る」(Iサムエル16:7)と。神さまは外面で人を分け隔てされないお方です。 
 また、人は神さまの御前に、そのようなものに頼って立つことができません。聖書は言います。「すべての人が罪の下にある・・・義人はいない・・・みな、ともに無益な者となった」(ローマ3:9-12)と。私たちはただ、救い主への信仰によってのみ、御前に立つことが赦されている罪人です。 
 ですから、聖書は「誇る者は主にあって誇れ」(1コリント1:31)と言うのです。主にあって誇るとは、主の前に自分を低くしつつ、他の人々の前で主の素晴らしさを誇らかに賛美することです。神さまの前に低く歩む人は、人の前にあっても、空しいプライドや卑屈さから解放され、健全な謙遜を身につけた人です。 

「救われた罪人」

義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。

神を求める人はいない。

ローマ人への手紙 3章10節

 

 祈りが深まる以前、私は人の足りなさ、人の罪がまず目について、一人一人のことを心から感謝するということができませんでした。それが神さまに取り扱われて、感謝をもって祈り始めることができるようになったのですが、なお、さまざまなことを通して神さまが強く示してくださるのは、自分のかたくなさであり、罪の深さです。 感謝して祈っているはずなのに、感謝の思いを素直に言葉や態度に現せない弱さ、「御名をあがめさせたまえ」と祈りながら、いまだにサウルのように自分の義を立てようとして「しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私の面目を立ててください」(・サムエル15:30)と祈っている自分を見いだすのです。 
 けれども、神さまの愛と救いの恵みは、義人が一人もいないはずのこの世に注がれたことを覚えます。赦されてもなお罪の深い私たちですが、神さまは、そのことを承知の上で私たちを救い、そればかりか、ご自身の御業を宣べ伝えるために用いようとさえしておられるのです。主の深い愛と恵みを感謝し、御手の前にへりくだって歩ませていただきたいと願います。 

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